4月から2週間ほどトルコ旅行をするにあたって、歴史的背景やトルコの事情が分かっていたほうが面白いと思い、トルコについて少し調べてみました。
同じように歴史的前情報を知ってから旅をしたい人の一助になれば嬉しいです。
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地域
世界で唯一アジアとヨーロッパにまたがる国。
南側はシリア、イラク、イランなどちょっと良い話を聞かない国に面しており、ちょっと近づきがたい。
中東の情勢不安定の影響で、イランからの移民が多いようです。
キリスト教ではなくイスラム教が強かったことからも、歴史的にはヨーロッパというよりアジアに近かったように思います。
が、現地の大学生に聞いてみても
トルコのことはヨーロッパだと思ってるの?アジアだと思ってるの?
どちらとでも言えると思う。
どっちか、ではないんじゃない?
2005年からEU加盟交渉を始めていたのですが長く停滞しており、2019年3月には加盟交渉が中断しました。
今後はアジアよりになっていくのかも?
歴史
トルコの前身オスマン帝国は、チンギスハンが率いるモンゴル族の支配を逃れ、日本の鎌倉時代に生まれました。(1299年)
最初の首都はブルサ
その後ヨーロッパ進出を進め、東ローマ帝国を滅ぼし、今のイスタンブールを首都とします。
元々東ローマ帝国の教会だったものをイスラムのモスクに作り替えたものが、世界遺産にもなっている有名なアヤ・ソフィア。
オスマン帝国はアジア・アフリカ・ヨーロッパにまたがる大帝国として大きな勢力を誇り、欧州キリスト教国家を脅かしました。
しかし、19世紀には大きな国家を保持しきれず衰退していき、ヨーロッパ諸国に国土を脅かされるように。
日露戦争で日本が勝ったことが次の時代の契機になります。
日露戦争における日本の勝利をヨーロッパに対するアジアの勝利と捉え、トルコ人は復興運動を開始。
これが青年トルコ党の決起となります。
これが1908年頃のことですが、あまり上手くはいかず・・・
1914年の第一次世界大戦では、ドイツの3B政策に組み込まれ、結局敗退しました。
この時結ばされたのがセーブル条約。
トルコはヨーロッパ側の多くの領土を失いました。
しかし、トルコは再びアジア側の領土から復興を進め、1923年にはギリシアやイギリス、フランス、イタリアを駆逐してローザンヌ条約を結びました。
これによりセーブル条約以前の領土をほぼ取り戻したのです。
同時に、セーブル条約に調印した王朝を排して共和国性を宣言しました。
首都も国際的なイスタンブールからトルコ的なアンカラに移行。
1923年の出来事です。
民族
昔から、軍事と政治に優れた強い国家でした。
オスマン帝国を建てた国ですからね。
国民は信頼できる政府には非常に従順で、忍耐強く、統率が取れた行動をとります。
少なくとも第2次世界大戦前までの国民性は、日本と非常に似ていたようです。
日本と共にアジアの唯二の完全独立国として誇りを持っており、潔癖で勝気。
その後日本は第二次世界大戦に負けましたが、トルコはほぼ中立を保ちつつ西側陣営についたので、戦勝国として現代に至っています。
ただ、経済にはあまり強くなく、トルコ人が支配階級として君臨する中、商業は被支配民族のギリシア人、ユダヤ人等が担っていました。
(トルコ人の庶民は農夫や羊飼い)
そこで、トルコ共和国になった後、商業を担っていたキリスト教徒が反乱を起こしたのをきっかけにイスタンブール以外からキリスト教徒を追放し、代わりにギリシアにいたトルコ人をトルコに呼び戻しました。
こうして民族統一を遂げ、銀行や鉄道といった商業もトルコ人が担うようになった訳です。
言語
トルコではトルコ語が離されています。
トルコ語は日本と同じアルタイ語族に属しており、日本語と文法の順番が同じ。
ただ、文字はアルファベットをベースにしたものなので、ローマ字読みから推測できます。
第二外国語としては、歴史的にはフランス語が強かったようですが、今は多くの人が英語を学んでいます。
ただ、自国語であるトルコ語を非常に尊重し、第1次世界大戦の頃にはトルコ語万能主義を進めていたようです。
この点も日本とよく似ていますね。
今でもほとんどの人がトルコ語しか話せません。
あまり英語が通じない国です。
宗教
古くからイスラム教の国でした。
しかし、1928年には憲法から「トルコ国の宗教をイスラム教徒する」という条項を削っており、政教分離が進んでいます。
元々は他のイスラム国と同様、宗教が政治に強い力を及ぼしていたのですが、近代化に伴って改革されていったのです。
当時はトルコが無宗教になったと他のイスラム国から批判されましたが、実際は宗教の自由を認めつつ、他宗教の文明国とも円滑に取引できる強い国を作るための政策でした。
- 今まで政府の監視下で行われていたラマダン(断食月)は国民の自由意志によって行われる。
- 金曜日が休日というイスラム文化を守っていては日曜が休日のキリスト教国と取引する上で不便なので、日曜休日に変更。
- ムスリムの象徴と考えられていたトルコ帽は、近代的な国家にふさわしくないということで廃止。
- 女子のスカーフ(ヒジャブ)もトルコ帽と同じく好ましくないもの。
ただ、2003年に首相に就任しその後も権力を握っているエルドアン氏は親イスラムなので、最近のトルコはイスラム化が進んでいるようです。
民族性にしても、言語にしても、日本ととても似ているような気がします。
ただ、あくまで歴史を知り、本を読んだところの感想なので、これから2週間でどんな発見があるか・・・。
また、世界遺産にもなっているモスクやカッパドキアの背景を理解するなら近代史よりもオスマン帝国時代の話のほうが重要ですね。
何にせよ、楽しみです。
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